ちょっと、思ったこと 2001/08-09

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■ 9/15 テロに関して  

■ 9/02 訃報      

 8/26 怪談(なのか?)

■ 8/14 最近のことなど 

 


テロに関して
2001/09/15


なんや、9月は忙しいのう>誰?。歌舞伎町で44人が死に、石堂が死に、後輩が結婚して、今度はアメリカでテロか。人がロシアに行くっていうのに!!親がいらん心配してやりづらいじゃないか。

今回のテロについては確かに私も衝撃を受けた。しかしその衝撃は周りの連中とは内容が違っていて、例えばうちの母親なんかは声も絶え絶えに「どーいがろっかねぇ……、あんなに沢山の人が死んでしまって」と電話口で言っていたわけだが、私はそれについてはどうしても彼女と一緒に心の底から嘆くことはできなかった。逆に「この人はなんでこんなに知りもしない人の死を悲しむことができるんだろう」と不思議に思ったくらいだ。
私の喰らった衝撃というのは、ワールドトレードセンターに旅客機が追突する様を映像として目の当たりにしたことと、そのWTCが崩壊してしまったことだ。追突の瞬間をテレビが何度となく映し出すその度に、はっきりいって私は魅入っていた。テレビを付けっぱなしにして作業をしていても、そのシーンが現れるとアホのように目を向けていた。こんな表現を使うのは対外的によろしくないのだろうと思いつつあえて使うと、それはとても素晴らしい映像だった。続く崩壊の映像も見事だった。これらのものを現実のものとして目にすることがあるとは、と興奮しまくっていた。
それにしてもあのツインタワーのないマンハッタン……と考えたときには、とても寂しい思いがした。「そこにあって当たり前のものが失われた」ということで、この度のテロは私の「日常」の一部も破壊したことは確かだ。

このテロに関しての世の正しい反応というのは「前代未聞のテロに驚愕し、テロに巻き込まれた人々に深い哀悼の意を捧げ、テロを憎み、テロリストたちを断じて許さない」というものらしい(順序厳守)。この紋切りセリフを何度となく繰り返すキャスターたちは、もはや口が勝手に動いているのではないかと思うほどだ。てーか、そんな訳ないのは百も承知でそれでも「本気でそう思ってんの?」と言いたくなる。それはわかったからもっと別のこと言えよ、言うことないんならNHKみたいにテロップにニュース流してひっこんでくれ、と苦々しく思う。
紋切りとはいえ、言っていることの内容を否定する気はまったくない。しかし私が一番気に入らないのは、今回「テロを憎む!!」と叫ぶんなら、もっと早くに言わなければならなかっただろ、ということなのだ。だってテロは以前からあったのだから。憎むべきテロ、なんて、よくもしゃあしゃあと言えるものだ。優勝しそうだからって突然ベイスターズファンになるようなものじゃないか。バカバカしい。で、そういう連中がさも自分がまっとうな人間感情をもってると言わんばかりにマスコミに倣って驚き、悲しみ、憎んで、それで?それで終わりなのである。なんなんだこいつらは。もっているのは感情だけ。「テロの成功に喜ぶパキスタン市民」を見てまたまた驚愕。「あれは祭のときの映像を洗脳映像として使っているんだ」という人もあるが、あれが本当だとしてもあいつらの情況を知っていれば別に「驚愕」することもないはずだ。ちなみに私は「なんと素朴な人たちだろう」と笑ってしまったのだが。

ところで今回のテロに関して、中学生の女の子から短いメールをもらった。全面的に感情を吐露するでもなく、素直に疑問に思うことが書いてあった。今回のテロは「今の平和な世の中では考えられない」ことで、テロリストに関しては「民主主義に反対するのは何故なのかわからない」。そして「どうしてあんなに人が亡くなっているのに、それを喜ぶ人がいるのでしょう」ということだった。そのいちいちに答えていると恐ろしく長文になることは明らかだったので(もちろんその上で希望されれば書く気でいるが)、とりあえず「マスコミのいうことを鵜呑みにしないように」と言っておいた。要するにニュースでも本でも、それを受け取るときには常に「言っているやつがどういう人間で、どういう背景のもとに言っているのか、言わされているのか。そして言っていないことは何なのか」ということを踏まえて考えてみたらどうだろう、ということだ。これってかなり重要なことだと思われるのだが、あんまり意識的にやってる人は見かけない。先に書いたように、もはや感情が価値となってしまっている人が大半なのだ。そしてその大半の人間たちを満足させるかのようにテレビは被害に遭った人たちにマイクをつきつけ、そのシーンにぴったりの曲とともに今日も垂れ流すのである。

今回亡くなった人々は、本当に気の毒だと思う。それは、行方不明の家族を涙ながらに探す人々を見てもそう思う。しかしこれは今回に限ったことではない。どこであろうとテロが起きれば誰かが死に、その家族が悲しみに暮れるのだ。そしてそれは戦争でも同じことだ。誰にでも分かる愚かなことだ。
今回のテロを「これは戦争だ」といい報復を誓っているブッシュは、私にはアジってるとしか思えない。多くの犠牲の上に結局誰が得をするのかということは、引き続き注目すべき点だと思われる。

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訃報
2001/09/02


昨日石堂清倫が死んだ。死んだのは、私が東中野の映画館で宇野重吉の声を聴きながらうとうとしていた頃だった。知ったのは今日の夕方。知らせてくれた友人によると死因は老衰ということだったが、調べてみると肺炎らしい。
別にこの訃報がどうだということではないはずだった。私は石堂の知り合いではないし、ただ前に1冊の本を読んだだけだ。でもこの空虚感はなんだろう。悲しいわけでも残念というほどでもないのに、なんだか胸が重い。
今まで身近な人を亡くしたことがないので何とも比べようがないのだが、1人の研究者が死んだにしてはあまりにショックが大きい。ずっと先頭を行っていた人がいなくなってしまった感じ。な、涙が出てきた。
馬鹿げたことだが、石堂は死なないと思っていた。97にもなって生きてんだから、もう死なないだろうと変なことを考えていた。石堂は石堂のままずっと在り、ずっと石堂の仕事をやっていくんだろうと思っていた。そんなことある訳なかったんだなぁ……。

そうやって沈みつつも、酒を飲み飲みネットでラテン文学なんかを調べ始めると、それなりに没頭するし笑いもする。仕方ないな、私は私でこうやってやっていくしかないんだ、と思う。たとえ1人になっても、やっていかなければならないんだなと思う。

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怪談(なのか?)
2001/08/26


お盆を過ぎた頃からテレビでは怪奇現象話がよくされている。昔だとこういう番組は、あおりにあおって何もないという「水曜スペシャル(もちろん川口浩)」のようなものだったが、最近はそれでも「何か」を撮ってくるなー、と感心して見ている>好きなのだ。
芸能人の恐怖体験談も割とあり、それぞれにみんなほーーという話を聞かせてくれるのだが、以前HEY HEY HEYに出ていたhiroの話には笑った。いや、本当は怖い話なのだが、話し方が全然怖くないからだ。それで思い出したのだが、そういえば私も一つ「怖いのかもしれないがでも面白すぎ」という話をもっていたのだった。それをこれから書こうと思う。

私が学生だった頃のこと。その日は夜の11時過ぎに実験が終わり、それから電話で友人に迎えにきてくれるよう頼んだのだった。友人は40分ほどかかると言ったのだが、うちの学校は田舎にあってその時間には電車はなく、またその友人に用があったため、心配してくれる近場の友人の誘いも断り、1人学生玄関前で車を待つことにした。
学生が捌けたところで戸締まりをしにきた助手が声をかけてきた。私がここで車を待っているんだと言うと、助手は「でも、電気全部消しちゃうよ?ここの街灯も全部消えるけど」と言った。私はおののきつつも「大丈夫ですよ。すぐきますから」と答えたのだが、実際真っ暗闇になってみると「冗談じゃねぇぞ」という感じだった。「非常灯しかついていない校舎の玄関口で1人立っているなんて、きっと他人から見たらこの世のものではないな」。そんなことを思いながらぼーーっと迎えを待っていた。
目が暗闇に慣れてくると、それでもいろいろなものが見えてくる。玄関からまっすぐのびた道の左右にはそれぞれ校舎と自転車置き場があり、校舎に続いて体育館がある。道は体育館の前を過ぎたところでつきあたり、左に折れて下宿街へと続く。周りは田んぼで、その周りは山である。唯一の光は1kmほど先に見える高速道路の灯りだけだ。
しばらくすると、下宿街方向から自転車が一台やってきた。自分が異常な状態にいることを先に考えていた私は、「やだなーーー」と思いつつその自転車を目で追った。自転車はそのまま玄関から50m程離れた自転車置き場に入り、乗ってきた人はサドルにまたがったまま誰かを待っている風だった。「一体何用だろう、こんな時間に」と私は不思議に思ったが、ちょうど文化祭が近いこともあって「文化祭関係のことで学校にきたのかも」と、今思えばなんだそりゃってことで納得して、また1人ボーっと考え事にふけることにした。
2、3分してから何気なく視線を自転車置き場にやると、いつの間にきたのか人数が増えて3人になっていた。ちょっとびっくり。「おお、気づかなかったぜ」と思いながらも段々いたたまれなくなってきた私は「迎えー、早くこねーかなーー」とそればかりを考えるようになった。真っ暗なので時計も見えず、「あと何分くらいで来るだろう」という予測も立てられぬまま、ただひたすら待つしかない。
ふと頭を上げると、私の左側3mのところに男が1人立っていた。明らかにこちらを伺っている。その唐突さに驚きながらも、私はとうとうきたと思って困ってしまった。「やっぱりユーレイだと思われてるーーー。どうしよぉ。まさかこっちから『違うんです』なんて声をかけるわけにはいかないし……」。自転車置き場のほうに眼をやると、そちらの2人もこちらを伺っている様子。これは、完全に誤解されている。きっと「お前、近くにいって確かめてこいよ」みたいな話にでもなったんだろう、どうしようーーー、と、このうろたえぶりを顔に出さずに私は突っ立っていた。
しかしその男は視線を外さずにジリジリと回り込んでくる。追いつめられた私は、もうどのタイミングで「違うんです」と言おうかということしか頭になかった。男は少しずつこちらに近づいてくる。私が心の中で「うわーん」とか「いやーん」とか「ひーー」とか思いながらもどうすることもできずにいると、不意に車のライトがこちらに向かってくるのが見えた。おお、救いの光よ!!
「良かったーー」と思って車に駆け寄り、今までのことも忘れて「遅いーーー」と言いながら乗り込んだ。車がUターンして出ようとしたとき、そういえばと思ってまわりを見たのだが、誰もいないし何もない。
あれ?車がきたから隠れたとか?と思いつつ、話しかけてくる友人に受け答えしながらしばらくは実験のことなど色々話をした。話が一段落してから私は友人に「玄関に車入れたとき、他に誰かいた?」と聞いてみた。「いなかったよ、お前しかいなかったじゃん」。それを聞いた私は妙に感心してしまった。「へーーーーー、じゃああれはなんだったんだ」「何?」。
私が今までの話をすると友人は過剰反応していたが(恐がりなので)、私は別に怖いとは思わなかった。大変困ったのは事実だが。

それにしてもあっちがユーレイかも、と一度として思わなかったのは面白い。まあおそらくは無意識にその可能性を否定していたのだろう。怖いから。いや、やっぱりそれどころではなかったからかもしれん。こっちがユーレイだと思われていると思っていたから、いかに相手を驚かせずに自分が生きている人間だということを示すか、ということで頭がいっぱいだったし。
一応ユーレイらしきものに会ったということでこの話を人にすることは今までもあったのだが、本人が怖い目に遭った訳ではないので怖い話としてはあり得ず、大抵は「お前が可笑しい」ということで笑い話になるのだった。まあ私の体験したユーレイ話なんてみんな「ほんとにいるんだー」と感心した、という話に過ぎない。怖い目には遭っていないのである。しかし私がなぜユーレイとカタカナで書くのかというと、漢字で書くと怖いからである。

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最近のことなど
2001/8/14


7月にシャンハイ土産でもらった茶を今頃飲んでいる。飲み方が面倒そうで今まで放っておいたのだが、どうもインスタントコーヒーみたいにざらざらカップに入れてお湯を注げばいいらしい。ただ最初の一杯は捨てろと言われた。それでも一応飲んでみる。……別にフツーに飲める。しかしだんだん色も味も濃くなってきてほんとにコーヒーみたいになってしまった。やっぱり捨てる。で、今2杯目を飲んでいる(ちなみに50グラムで38元。1元が15円として570円か。土産としては手ごろな値段だ)。
さて、気づけば8月も半ばである。月始めに帰省して、戻ってきてから旅行手続きでばたばたし、やっと一息という感じ。その上昨日彼氏が帰省したこともあって、今日は朝からものすごい解放感を味わっている。いいぞーーーー。なんかやる気出てきた(?)。

このHPの文章に関して最近、というか7月頃から「……手ぇ抜いてんなーー」という自覚があった。そりゃあ最初はてめえ勝手に書いては載せるを繰り返していたわけだが、おかげさまでというか「読者」というものを目の当たりにしてみると、やはりオナニー文を書いて済ますわけにはいかなくなってきた。どんなもんかいな、という感じで軽く始めたことだったが、見通しが甘かった。結構大変なんだなー。
最近付け焼き刃的な文章を書くはめに陥っている訳は、すんません、ロシアのことしかしていないからです。それもロシア語と旅行準備。ネタにならんー。もはやこの場でネタになるようなことを調べている段階ではなく、煙草はどのくらい持ち込み可なのかとか、空港から市内までのタクシー代の相場はいくらかとかそんなことをやっているのである。なので新しいことはこの旅行が終わってから、10月からということで。申し訳ないす。
いや、でもできる限りの努力はします。とりあえずは『存在の耐えられない軽さ』を終わらせるつもり。これからもどうぞよろしくー。

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